ちゃげの雑記帳

24歳の医大生が好きなこと、考えたことを発信してます。

医大生が読む終末期医療の小説

 

謎の急性胃腸炎から復帰しました!まだ本調子ではないですが、これからだんだんと食上げしていきます。2年に1回くらい熱出すんですけど、歳をとるにつれて、1回1回が重くなってきている気がする、、、怖いなぁ。

 

皆さん、医療小説といえば、どんなものを想像しますか?

有名どころでいえば、「チーム・バチスタの栄光」とか、「白い巨塔」などの大学病院を舞台にした小説が思い浮かぶかと思います。

 

しかし、今回僕が紹介したい小説は少し違います。

 

サイレント・ブレス 看取りのカルテ (幻冬舎文庫)

サイレント・ブレス 看取りのカルテ (幻冬舎文庫)

 

 

タイトルでわかるかと思いますが、この小説は終末期医療を題材にしています。

 

久しぶりに、医療を題材にした小説でも読んでみるかと思い、手に取ってみました。実際にはkindleでポチっただけですけど。 

 

僕は読んでから知ったのですが、作者の南杏子さんは都内の高齢者病院で働く現役医師だそうです。医師×作家ってなんか特別で素敵ですよね。作品自体もとてもリアリティがあって頭の中に映像が浮かび上がってくる、そんな文章でした。

 

簡単なあらすじとして「大学病院でバリバリ働く女医が訪問クリニックに移り、5人の患者さんを通して、終末期医療について考えを深めていく。」という感じでしょうか。

 

なんか僕があらすじ書くとだいぶ薄っぺらく感じてしまいますが、本当に主人公である水戸倫子医師の心の動きが細やかに描かれていて、最後にはふっと命の終わり方について考えさせられる、そんな胸に残る内容でした。

 

この小説に出てくる5人の患者さんは、それぞれいろんな理由を抱えて命の終わりへと向かっていく、つまり最後には死んでしまいます。字面だけ見れば、全てバッドエンドかもしれません。しかし、終末期医療はこのバッドエンドをハッピーエンドに変えてくれる。そんなものなのかもしれないとこの小説を読んで思いました。

 

 

ここからは僕の終末期医療への考察です。

結構書いたんで、読んでくれると嬉しいです。(書き終わった後の僕より)

 

 

多くの医大生がそうだと思いますが、臨床実習の場で終末期医療に触れる経験は少ないと思います。講義でも、終末期医療についてはあっても1コマですし、考える時間は多くはありません。ほとんどの勉強が病気に対してどんな治療が考えられるか、どんな対処をすればいいのかという内容ばかりです。

 

医療とは命を助けるものであって、死に向かうことを助けるものじゃないという考え方があるからかもしれません。「医師は命を助けてなんぼ、救えないと分かった時点でもうどうしようもない。」そういうことを口では言わなくても思っている医師はたくさんいると思うんです。賛否あることはわかっていますが、日本で安楽死が認められないこともまたそんな考え方を反映しているのかもしれません。

 

でも、人は必ず死んでいくんですよね。例外なく。だったら、その人生の最後にその人がやりたいこと、そしてどのように幕を降ろすのかしっかりと感じ、医療サポートすることはとてもとても大切なことだと感じました。

 

人が死ぬのを目の当たりにする経験って、普通の人であればほとんど片手に収まる程度だと思います。僕自身、人の死を目の当たりにしたのは小学6年生の冬が最初でした。

 

朝、叩き起こされた僕が母に連れられ病院に行くと、祖父が救急外来で心臓マッサージされていました。懸命に心臓マッサージが続けられますが、徐々に祖父の身体は冷えていきます。そしてついには先生の心臓マッサージの手も止まり、祖父は亡くなりました。当時の僕にとっては衝撃的で悲劇的な出来事ではありましたが、まだ深く考えるには幼すぎましたし、ちゃんと受け止めることをしなかったのかもしれません。

 

医大生になり、臨床実習になってから直接的に死に触れたのは、救急科で実習していた時に心肺停止で運ばれてきたおじいちゃんに心臓マッサージをしたことです。この時は、僕の心臓マッサージで一時心拍が再開したのですが、とても弱く、最後には亡くなってしまいました。この時、僕が感じたのは、医療の限界人は必ず死ぬという現実です。実際に自分が心臓マッサージをするとまた祖父が亡くなった時とは違った衝撃を受けました。

 

奇しくも、同じおじいちゃん。同じ心臓マッサージ。

違いは、家族としての「死」に対する衝撃と、医療は絶対ではないという衝撃。 

 

同じ様に心臓マッサージを受けたおじいちゃんでも、家族としての自分と医大生としての自分ではやっぱり気づきや見えてくるものが違います。物事って、それを見る人の背景や考え方で全く違うものに見えるんだなぁって。

 

なんか、書いてる途中で脱線してこのままあらぬ方向に行きそうですが、要するに言いたかったことは、人が死ぬってことはありふれたことで、医療は全然完璧なんかじゃないってことです。

 

医療は日進月歩で、日々新しい発見がなされ多くの人が救われています。この進歩の中で、きっと「死」を先延ばしにする方法はたくさん出てくると思います。もしかしたら近い未来には、脳のクローンができてそっちに乗り換えるなんてSFみたいな技術ができるかもしれません。(ただのSF好き。)そんな中で、大事になってくるのは患者さんそれぞれの意思です。

 

「人間らしく死にたい」「少しでも長生きしたい」「管に繋がれてまで行きたくない」

「あと3ヶ月絶対に生きたい」

 

こうやって、 患者さん自身がしっかりとエンドポイントを設定することはとても大事なことに思います。

 

患者さんそれぞれに生き方や考え方があります。それをしっかりと汲み取り、適切に医療サポートすることこそ終末期医療のあり方なのかなと思いました。

 

ある日突然、意識を失ってしまうかもしれない、認知症になって居場所すらもわからなくなってしまうかもしれないですから、家族に終末期はこうしてほしいと自分の意思を伝えておくことも必要かもしれませんね。そうすれば、残された家族も迷わずに済みますし、医師もベストなサポートをできると思います。いくら家族といえども人の生死を決めるのは重いですから。

 

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           引用:内閣府より

内閣府ホームページから、こんなもの探してきました。高齢者の最期を迎えたい場所としてあげられたのはやはり過半数「自宅」です。やっぱりみんな、最期は自宅で迎えたいって思うんですね。

 

在宅で「死」を迎えたい人が50%を超える中で、在宅の終末期医療についてより深く考える必要があるんじゃないかと思いました。この小説に出てくるユニークなキャラクターを持つ登場人物たちを見ていると、そんな終末期医療の考えが湧いてきました。

 

素敵な小説だと思います。

皆さんも是非一読してみてください。

 

最期まで読んでいただきありがとうございました。

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